2月下旬にさしかかり、VDをスルーして、卒計を終えました!
飲み会も済ませました!あとは次年度へもろもろを引き継いでいく作業です。
四年間の集大成…にできたのか、できてない気がするけども、まああと二年あるわけだし、これからも自分らしい建築を探していこうと、思います。
自分らしいって、何。っていう壁にぶち当たってるわけですが。
たかだか四回生の脳みそじゃ、どんな建築がいいのかわるいのかなんて判断しきれないから先生に助言を頂くわけですが、はなっから先生に頼りすぎてた感は否めない。結局のところ、自分が一番やりたかったことを強調して、本来やるべきことをないがしろにしていた気がする。
その「本来やるべきこと」を、自分らしさの表現ととるのか場所に対する応答ととるのか、計りかねていた。要するに後者の方を、忘れていた気がする。
最初はリノベでも新築でもいいと思ってた節があるからなおさらだけども、リノベっていう前提を置き去りにしていた。都合の良いことは忘れやすいっていうアレ。
中身を大きく弄りたいのを推しすぎて、もっと小さい手法で解いていくべきだった。
FBでも言ったけども、対象の建築が卒計のスケールに収まりきらなかったから、もっと引いた視線で解いたことを強調すべきだった。寄せた細部の計画は、二の次の次くらいだった。だからこそ、建築の外観を弄ることで空間が変わる、までで良かったかもしれない。
内部を弄るにしろ、もちょっとおとなしくてわかりやすい手法の方がよかったんだろう。極論、中身はソフトの入れ替えだけでよかったんじゃないのか。
ソフトの入れ替えは、外壁をガラスにしたことで少なからず外部に伝わるはずだし、あの壁面ラインを弄らない以上、建築の物理敵な変化要素は何も無かったはずだ。
限られた製作時間とシートの表現、発表時間っていうのをネックにして、中身の話をしすぎた。だから中身が無駄に濃くなってしまったんじゃないか。
中途半端だったんだと思う。引いた目線のくせ、細部にこだわりたがるから。もうちょっと、我を抑えるべきだった。中間発表あたりから、ちょい我がきついなとは思ってたし。
さて、自分らしさってなんぞやい。
建築はアートではない。アートとは芸術である。芸術とは自己の表現である。建築とは、場所への応対と、自己の思想がまざったもの。
建築に加わる自分らしさが自己中心的なアートでないなら、建築家は建築に対する自分のデザインを持っていないといけない。絵だの彫刻だの前衛的なスキルを持っていたとしても、建築ではまったくのお門違いだ。全否定してはいけないんだろうけど。
正解はないとは言うけれども、正誤と善し悪しはあるはずだ。自分らしい、を今抜きにして、施主の依頼で建築家がモノをつくる場合、そこに建築家の意志とか自分勝手な妄想は、入り込まないんじゃないのか。
そうなれば、建築家の数だけ建築があるとかそんなはずはなくて、だからあるべきなのは、対象地に対する空間の応答と、施主の意図と、建築的意匠だけなんだ。建築やる人間が持つべきデザイン力は、建築的意匠にのみ影響されなければならない。
ここ一,二年、固定観念に悩まされてる。
これはこんなの、あれはそんなのと、物事をカテゴライズする癖がある。形容詞をつけたがる、付箋を付けて、すぐにソートできるようにする。物忘れが激しいから、キーワードによって関連した言葉がひとつふたつ連鎖的に出てくるようになっている。
それに凝り固まって、これはこういうもの、あれはそういうもの、ていう考え方をする。逸れたり外れたりすると違和感があって、頭では納得していても、身動きが出来ない。
潜在認識とか固定観念とか、どうしようなって考えてて、これはもしや一種の偏愛かとは思ったけど、たぶんちょっと違う。
生真面目とはよく言われる。柔軟になれとも言われる。冗談を真に受けるし、冗談と分かっていても流せないし、本気にするし。
言い訳を探そうとしている、あるいは、固定観念をまた植え込もうとしている。男の人はあんな考え方をする、女の人はこんな考え方をする、だからフォローの仕方も違うし、いじり方も違うし、答え方も違うし。
だからといって納得できるほど、図太い神経してないんだ。わりとポジティブだと言われるけども、上っ面なんてポジティブだとは言わない。根っこが暗くなってたら、どうやったってネガティブループを繰り返す。都合悪いことは忘れようとするけども、それはポジティブとはいわない。スルースキルを身につけたいというか、傷つかないための防御壁を手に入れたい。
自分が傷ついたのは相手にデリカシーがないからだと、そういう思考回路をしてるからだと八つ当たりしてしまう。つっかかるよりは流した方がいい。それでも腐っても友人だから、流すよりは笑ってアホかとぶん殴りたい。
それができない堅い自分が嫌いすぎる。
好きな曲を聴いて、好きな絵を描いて、好きなことをして、根っこにある自己嫌悪を紛らわせている。たまにこんな風に鬱になる、引き金になった友人にも嫌悪を向けてしまう。
表には出さないけど。凹んでるんだろうくらいに思われたら、それでいいけど。
人生の課題だ。今年一年の課題なんて言ってられないくらい重いんだ。
PR