先日、西宮と芦屋に行きました。
住宅特集の家を見に行って、ついでにおもしろそうな集住も見に行きました。
同回生の男の子と一緒に行ったんですが、いろいろ甘かったですね。
主に交通機関的な意味で。
バスが、系統はいくつかあるけど、一時間に1、2本しかないって。運良く待ち時間10分くらいで済んだけども。あと、西宮の矢真ん中の住宅街まで行ったので、坂道がえぐかったです。
帰りはバスじゃ無くて歩きでぶらぶらしょうぜとか言ってましたが、あまりの坂道に脚が筋肉痛です。甘かった。
夙川駅→西宮・苦楽園(山の方)→甲陽駅→芦屋川→緑町(海岸の方)
ていう道のりでした。
近隣住民の皆さん、不審者ではないので、見逃してください。
ともあれ、苦楽園の住宅街。
すごいですね。一戸の敷地の大きさ、土留め擁壁のでかさ、斜面地利用率、車の所有台数。
もともとの地形が急斜面なんでなおさらですけど、斜面地にさらに高い擁壁造って3階建てを造ってました。
戸建て住宅街で首が痛くなるって、初体験です。
敷地に1~2階建てくらいの高さの差があって、敷地四辺のうち、南北の2辺を道路で囲まれている場合。アプローチが高いところと低いところ両方あるんです。
こう書くと普通ですけど、下の道路から見た後に上の道路から見ると、ちょっと感動しました。ああ、こんなアプローチなんだ、って。
普通の豪邸とか、ハウスだったりすると、普通に低い方に玄関造るだけか、高い方から入らせて下から見るとばかでかい擁壁が建つか、どちらかだと思うんですけどね。
あの地域は、でかい擁壁と塀をたててる豪邸も多かったですけど、斜面を利用して塀を作ろうとしない家の方が多かったように見えます。
でも、家に直通する玄関が真ん前に出てるだけで、やっぱり家の中の様子は分からないんですけど。
リビングの開口は道路側には出てなくて、それぞれの家の中庭に向いてる例が多いようです。
ルーバーだったり、そもそも壁一枚を玄関側に造って開口がなかったり、玄関から見える範囲には、居室も何も無かったり。
でも、ただのハウスでも豪邸でもない家が多くて、めっちゃ楽しかったのはあります。
駅の近くにいたときもハウスをたくさん見ましたけど、なんであんなに、道路側に開口造るのを嫌がるのか。
べつに見えてもいいやん。
リビングの開口から、お隣と会話できたらめっちゃええやん。道行くご近所さんとか、クラスメイトとかと、胸あたりまである塀越しに喋り合うの理想。
塀が無くても、庭があればすごく理想。
最近は、壁と道路の間に塀は無くてちょっと庭はあるんだけども、肝心の開口が空いてない。
開口に縁側とかついてたらめっちゃええやん。なんで嫌がるかなあ。
今日の授業で、夜の住宅街って暗いよね、て先生が言っていた。
明るみが出てくる町並みはどてもいい。住んでるんだなあ、ってなる。住んでる人が、夜仕事終わりに帰ってきて、街が明るみで迎えてくれたらすごくいいと思う。町の人でなくても、街を好きになるんじゃなかろうか。
自治会の人付き合いが苦手、てのが最近の家らしい。わからんでもない。めんどくさい、というのとか、わからんでもない。
でも最低限、3軒隣までくらいの人付き合いは大切だと思う。中学の時に人見知りをどうにかしようと、まち行く近所のおばちゃんにすれ違う度に挨拶してた、あれはとても好評だったらしいから。
うちの家のリビングからは、隣家のお庭越しに道路が見える。隣家とは一応肩ぐらいまでの高さの山茶花の垣根がある。石積みじゃなくて、垣根、ってところがミソ。
すごく贅沢な借景だと思う。隣家のご夫妻はもうだいぶお年寄りなのに、すごく丁寧に手入れをしている。時季にはリビングから山茶花が見えてて、実は薔薇の花とかも見えたりする。
今はうちの家が遮光カーテン引っ張って来ちゃったけど、カーテン開けてたらお隣さんが、「今日の日中はいるんだ」とか気づいてくれる。お互いが「いる」というのを認識できる。
そんな場所が、見てきた住宅地では感じられなかった。てか豪邸ってだいたいそうじゃない?(※偏見!!)
道路側から見えてないから、なにかお隣同士で楽しめる庭があるのかも知れないけど。昔の少女漫画みたいに、自分の部屋の窓からお隣の窓に乗り移れるみたいなことがあるのかも知れないけど。
ちなみに、二つ隣の家は、位置的にうちの家からは玄関よりも勝手口の方がよく見えます。にやにやします。もっとみせろや!!!みたいなね。にやにや(変人!)
思い切り住宅地についてディスりました。口悪くてすみません。
同回生にも言われたし、先生にも言われたけども、さいきん悪口多いです。
悪口というか、悪口なんですけど、批評というか、これは違うあれはそれっぽいっていうのを口に出してると、自然とそうなってしまうようで。
自分の頭の中にある、「それっぽさ」を探してるんです。
膨大ながらくたのなかに手を突っ込んで、建築とはなんぞやっていう、自分にとって・場所にとって・人にとっての答えを探している。惜しい答えじゃなくて、「これ!」っていうのを探している。
拾って、何が違うかを突き止めて、また拾って違いを見つけて、ってしている。それが今の突き詰め方だと自然と、悪口になってしまう。
悪口を言える程、えらい何かを持ってるわけじゃないから、意識するとすごく恥ずかしいんだけどね。
あと、集住について。戸建て志向だからいつも高評価できないんだけど、低層集住っていいな、って思いました。
実は土曜日に和歌山・御坊の島団地に行きました。多棟型低層コーポラティブハウス、いいですね。さすが巨匠です。時間が時間なだけあるのか、もとから減ってしまったのか、子供たちがいないのが残念でしたが。
男山の近くで、バスに乗ってる最中見た公園で子供達がたくさん遊んでるのを見て、どうして、いろんな住宅地にああいう光景が見られなくなったんだろうと思います。10人くらいが、さして広くもない、ごく普通の公園でブランコしたり砂遊びしてる。
ていうか、昔はこんなに、子供が遊んでる風景に憧憬を感じることは無かったぞ。どうした、何の変化だ。誰の刷り込みだ。
今年度は、自分が何をしたいか、どんなのが自分にしっくりくるのか、なおかつどんなのが場所を読んだ解法なのか、どんなのが求められているのか、
どんなことが、まちづくりにあたり住民に要求されてることなのか。
そういうのを明らかにできる都市にしたいと思ってます。
あとなんかいろいろ愚痴りたかったことがあったけど、また今度。
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