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建築とか課題とか愚痴とか。

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中間発表終えまして。

提案内容はこれでいいと言われたけども、事実提案はこれで良いのかって思っている。
つくるモノと、できるモノのビジョンが見えているけど、その説明が固まらない。
提案のどこまでを説明すればいいのか、結局のところどこまでが提案なのか、いまだわからない。
電車の線路敷地をオープンに道路にして、塀や垣根をちょいちょいと作ることでみち空間を生まれ変わらせる。
けども、実は塀や垣根は無くても道路を開放することでみち空間は生まれ変わる。
塀や垣根を提案にしたい。生まれ変わるきっかけになる操作を建築する。
だのにその存在価値が薄れている。
いったい何を提案すればいいんだ。道路を開放するって一言で終わるじゃないか。
その結果を描写すればいいのか。イメージがわかない。

平面、立面、断面、
平面パース、断面パース、
模型俯瞰写真、模型近接写真、パノラマ、
何をどう配置するのか、今までは割とのらくらとやってきたけども、今回それをへし折られた気がする。

だからいろいろと自信がなくなってきてる。
いま、変換ミスで
「自身が亡くなってきてる」てでてきた。言い得て妙だ。自分の考え方が解らなくて、自分が死んできている。
Diedじゃなくて、Be Dyingだ。
だんだん息が出来なくなって、死んでしまうんじゃないだろうか。
水に溺れて息が出来ないときみたいだ。川で泳いでるときみたいだ。足掻きたいのに、力が入らないやつだ。

あと、2週間ない。むしろ1週間前だ。
ぐだぐだしてられないのにな。




絵が取り柄だと思う。
パースの描写が唯一の武器だったのに、それを挫かれた気がしてならない。しかも二回目だからなおさらだ。
発表のときの決定的な一言がまだ頭の中に染みついている。
直後は、まだ自分の中で反芻するだけだったからか、まだ反骨精神昂ぶらせて、それなら写真に勝るパースを描いてやんよと意気込んでいた。
グループの奴らがパースいらないよ、模型でいこうというなら、それはそれでいいと受け入れたのに。
今日でその決意が崩れた気がする。誰かのせいにしていいなら、絶対に同回生のせいにする。あのままそっとしておいてほしかったのに。
どうせ分かりはしないだろうから別にいいけど、生身の人間にあの発表を評価されることが、悔しくてたまらないだけだ。模型のリアルさに、自分の描画が負けたことが、悔しいだけだ。
パースを下手だと言われたことが悔しいだけだ。
何も言われなかったらよかったのに。
思いの外、言われたことのダメージが大きくて自分でもびっくりしてるけど。
マイペースが過ぎるだとか、集団行動が出来ないとか、社会性に欠けてるとか、いろいろな問題が積み重なっている。
自分でもわかっている。結構前にも発覚してることだった。解決できずに、もういいやこのまんまでって放置してたせいもあるけど、
社会に埋没する生き方を諦めた。だから社会から逸脱する生き方を選んだのに、ここにきてやっぱり否定されている。
なんだかんだ言って、やっぱり社会はある一定の枠を欲しがっている。出る杭は打たれる、目立ちたがり屋は嫌われる。
周囲の大多数が、自分と同じ感性を持っているとは限らない。
感性、って言葉の中で、人間が本能で好き嫌いを判別するもの、人間が趣味経験に基づく刷り込みの本能で判別するもの、ふたつに分かれるものだとして、建築意匠は前者だと思っている。
後者は建築のデザインの閾だ。壁が圧迫感がある、とか塀が立っていることで仕切りになる、とかいうのは、天性の感性だ。
性別の話をされるのが嫌いだ。自分が女だと意識すること、されること、セクハラだと言えるくらい嫌いだ。
だから女らしい、男らしいという言葉がすごく嫌いで、たとえば重い荷物を心配されること、肉体労働が減ること。どうしようもないこともあるけども、結構嫌いだ。
男女の考えの違いとか、肉付きの違いとか、そういうの。

だんだん人間味がなくなっている。
人間味があったほうが好かれるし、めんどくさい性格はおしなべて嫌われる。
たとえば。誰かと一緒にご飯を食べることに、魅力を感じなくなった。
一人で食べるほうがいろんな事に集中できるし、体面を気にしないし。味覚が自分の合致しない食事を誰かと食べても、とくにおいしいとも思わない。
たとえば。意外と自分のことは周りの人は憶えていないとか。
むしろ、憶えられたら、過去の行動を回りにつつかれるのは(例え冗談だったとしても)必然だし、
現に2年履き続けてた靴だったり、おれのリュックサックのスタイルだったり、さも初めて見たと言うように驚く先輩と同回生。
たとえば、「ごめんなさい」を言葉で言えなくなったとか。
そういえば、相変わらず自殺願望は強い。
カッターの刃があれば、怖いのは傷みに対する恐怖であって、死ぬことに対して恐怖してるわけじゃない。
死ねと言われたらああ死にたいなあと思う。無責任だとは言われるけども、何気に人は等しく無責任だ。死んで迷惑をかけるなら、ごめんね迷惑かけてみたいざまあみろ、と思うほど。
自分を大切にしてねってバイト先で言われた矢先だったし。
自分を大切にしない人に、お客さんはついていかないでしょうって。そりゃそうだ。

自分に自信を持って、って言われるのは当たり前だ。
自分が自分を一番信じていないし、期待してないし、不必要だと思ってるし。
自分を支える唯一をやっとのこと信用できていたのに、その唯一を挫かれたら、立ち直るのは結構難しいと思うんだ。
立ち直るのを忘れるくらい、機械的に経験の量を重ねていってみようか。そしたらなんとか、忘れられるだろうか。
でも忘れるのはまずいと思うんだ。早いうちから克服しないと、問題解決にはならないだろう。


息。
漢字変換で「閾」とも書く。そのほか、「生き」「活き」「意気」「粋」「遺棄」「往き」などなど。
自分の吐息が届く距離、あるいは、自分の声が届く距離。息のかかった、という表現はそういうことなんだろう。
何にしろ、おのれの把握する範囲。まさに「閾」じゃなかろうか。
背伸びもめいっぱいしたとして、自分がコントロールできる範囲なんだと思う。
「意気」も「粋」も「遺棄」でさえも、自分の身の丈に合わせないといけない。やっていけない。
でもそんな、ぎりぎりでなければ、環境に応じて手が届くところを高く広く深くするように求められるんだろう。
社会は個人一人の尺に合わせてはくれないから。


でもモラトリアムの間だけは、赦してはくれないだろうか。
お金とか資格とか就職とかいろいろと制限が多いけども、いまは、自分のテリトリーを固めていきたい。
それまで、マイペースでも構わないだろうか。
それとも、やっぱり社会に接してる場所だけでも正しい人間らしくいろと、言われるんだろうか。

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