昨日は「ヒロシマ」でしたね。
終戦まであと8日、というとことです。
日本は敗戦国であるからこそ、戦争のいかに間違っているかを体現してる国だと思います。
今のご時世、戦争の二文字とほど遠い環境ですけど。
地震国でもありますが、なにより「原爆被害国」なんですよね。
「フクシマ」って言葉がりゅうこう。。。って言ったらおかしいけど、
ちょっと騒がれたのが、関電の飯田原発のおかげか、記憶に新しいです。
原子力による被爆被害を、戦時の原爆被害に重ねているんでしょうね。あの言葉自体が、「原子力発電による危険性」の象徴であるように語られてます。
……って語るほど私はそんなにジャーナリズムに詳しくないんですが。。。
「ヒロシマ」「ナガサキ」が凄惨だったのは、
その被害者数の規模でもありますけど、なにより一人の人が持つ被害の大きさだと思います。
白黒写真ですが、当時の写真を見て戦慄したのは、かなり前ですが覚えてます。あれはまちがいなく恐怖体験でした。
「ヒロシマ」「ナガサキ」この二単語が持つ言葉の威力ってのがやっぱりあって、
それはどれだけ人々に恐怖を与えたものなのか、
戦争がどれだけ悲惨であるものかを表すものだと思ってます。
あれは原爆っていう兵器によって、戦争がどれだけ人にとり危険で悲惨なものなのかを現代に伝えてる言葉であるはずなんです。
だから同じような言葉が平和主義の現代にあってはならなくて、日本が戦争に巻き込まれるということが万一起きない限り、あれを連想させる言葉は二度とはあってならないはずなんです。
「フクシマ」って聞くと、まるで福島に原爆が落ちたみたいな印象なんですよね。
それはあんまりじゃないでしょうか。
そりゃ放射能は危険ですが、チェルノブイリに次ぐ日本では前代未聞の事件でありますけど。
他にどんな表記があんねんと言われると言葉が詰まりますが、やっぱり抵抗があります。
「ヒロシマ」「ナガサキ」ってのは、原爆被害を通して戦争を見つめた、言葉なんです。
福島で起きた爆発は、戦争の産物ではないはずなんです。
平成生まれの自分ですが、そう思ってます。
建築とは関係ないことでした。
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